【現地ルポ】東北地方太平洋沖地震 取材日誌19 5月17日

 

(このレポートは仙台でパチンコ業界誌「フェイム」を発行している、ほくとう通信社の代表、友道学氏に寄稿していただきました。友道氏は地震発生時、群馬にいて難を逃れ、14日に事務所のある仙台に入りました)

 

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5月17日
久しぶりの投稿となります。大型連休前に、これまで取材に行っていなかった宮城県亘理町はじめ南三陸町、気仙沼市から陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、宮古市などの岩手県沿岸部を取材してきました。連休中は多くのボランティアや帰省者、観光客などが現地に入るので、その前に入りたいと思っていたのです。
行程は3泊4日です。勿論、近くの宿泊施設は、震災のため営業をしていなかったり、救援隊に提供していたりで、予約はかないません。そこで、車中泊をするために寝袋と食料・飲料水を積み込んでの出発です。

 

吉浜 市役所支所

 

 


4月27日、まずは南三陸町を目指しました。先日行って来た石巻市の北東部に位置するリアス式海岸にそって集落が形成されている風光明美な漁業の町です。三陸自動車道河北ICから国道45号線へ。河北町成田からは、県道197号線に入り、北上川縁の土手を河口目指して進みます。ここから約10㎞位下流までは、雪囲いや土塁の骨材、かやぶき屋根の材料に使用されるヨシが群生している自然豊かな流域なのですが、いまは1本のヨシもありません。すべて津波に飲み込まれてしまい、僅かに残った古株から新芽が顔を覗かせているといった様相で、流されてきた漁船が船底を見せていたり、漂流していたりと復旧作業が行われていない状況です。

 

 

 

 


 

 

 

北上町長尾地区から国道398号線に向かい、さらに北上川を下ります。海岸部へ近付くと家屋の被害は大きくなってきます。石巻市吉浜地区は石巻市役所支所が置かれているような人口も相応にある場所ですが、町の中心部は全滅です。支所も、石巻北高校飯野川校も、吉浜小学校も、郵便局も、スーパーも、ガソリンスタンドも、酒屋も、そして住宅も、・・・全くなくなりました。その先、十三浜上ノ山では、合同葬儀が執り行われていました。震災のため、火葬が間に合わず、身元が分かる遺体で、遺族の合意を得たものは土葬となるのです。新たに作られた共同墓地なのでしょう、海の見える高台「上ノ山墓地」に100人以上の遺族や親族が集まっています。僧侶も遺族の多くも被災者なのでしょう、正装とはいえない服装がよけいに悲しみを伝えていました。

 

志津川町

 

 


さらに進むと、小指・大指地区があります。報告は前後しますが、この大指地区の「大指林業者生活改善センター」には5月9日、日電協と回胴遊商が資金を拠出し、グンゼの協力を得て、シャワーコンテナが設置されました。住民180名弱のこの地区ですが、一日平均40名程度がシャワーを利用しているそうです。ここは、全31戸中13戸が津波により全壊してしまい、同センターが避難所として開放されています。現在は、南三陸町からの送電が開通し通電していますが、今でも食料不足は続いており(付近にお店などが全くない)、自衛隊救護車が支援物資を運んでくるのを待っているほか、朝・夕に弁当が搬入されるそうです。

 

 

 


給水に至っては、一日一回給水車が訪れるだけなので、住民らが協力して、地下水をくみ上げ飲料としています。ここに、シャワーコンテナが設置され、これまで、入浴するには30㎞も離れた温泉施設まで出向かなければならなかった避難住民たちも毎日シャワーが使えるとあって、大好評です。そればかりでなく、2団体から派遣された管理担当者4名(男性3名、女性1名)は、いずれも20歳代の若者たち。私が取材に行った5月15日には、地域住民と早くも打ち解けていたばかりでなく、小中学生たちの良きお兄さんお姉さんとして人気者となっており、子どもたちと楽しく会話をしたり、サッカーに興じるなど、地区内に明るい雰囲気を醸し出していたことが、何よりの支援活動に繋がっていました。このシャワーコンテナは同地に約3週間設置されるようです。

 

町の北側高台からの様子

 

 

 

 

 

町内のホールで唯一建物が分かる「パーラースマイル」

 

  さて、報告を戻しまして、大指地区から北上すると、高台の神割崎。この先からは、平野になり、海岸の集落となる長清水や国道45号線と交わる戸倉地区の漁港沿いは被害甚大。全くの荒野となってしまいました。
そして、南三陸町の中心である志津川町は、もはや言うに及ばずの状態です。3月11日のテレビ報道等で、誰しもが記憶している公立病院は町の中心部に建っており、4階建てなのですが、屋上のフェンスまで折り曲がっています。また、近くの南三陸警察署は形はあるものの全てを失った廃墟化しています。また、多くの人達が避難し犠牲となった防災対策庁舎の建物も骨組みだけを残しています。敷地内に建てられていた「昭和35年5月24日に発生したチリ地震による津波水位2.4m」を記したポールが虚しく残っていたのが皮肉でした。

 


この町には3軒のパチンコ店が営業をしていましたが、いずれも全壊。1軒を残し2軒は建っていた場所さえ分からない状態のがれき野原となっていました。最大津波25メートルという想像を絶する自然の脅威とはいえ、惨すぎる光景が、物凄い土埃(ヘドロほこり)と目が痛くなるほどの異臭、潮の臭いの中で展開されていました。

 

 

 

シャワーコンテナ
 

 

ほくとう通信社 業界誌『フェイム』 友道学

 

 

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2011.05.18 更新

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