【現地ルポ】東日本大震災 取材日誌16    4月10日

(このレポートは仙台でパチンコ業界誌「フェイム」を発行している、ほくとう通信社の代表、友道学氏に寄稿していただきました。友道氏は地震発生時、群馬にいて難を逃れ、14日に事務所のある仙台に入りました)

 

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取材日誌16(4月10日)

 

 

 

4月10日

 

名取市閖上(ゆりあげ)


 10日(日)。名取市閖上港の朝市が再開したという情報から閖上方面の取材を兼ねて出かけることにしました。5時30分に出発。距離はわずか10㎞程度なので、6時から開かれる朝市には十分時間があると思いながらクルマを走らせました。JR名取駅を左折し、国道4号線を渡ると閖上地区は目の前です。途中、仙台東部道路をくぐると景色は一変しました。漁船が流されて横たわっていたり、大破して横転している乗用車や貨物トラックが辺りに放置されたままの状態で、瓦礫と共に側道を占拠しています。信号機は勿論ついていません。停電中なのでしょう、というか家に人がいない、いや家がない。パトロールをしている警察車両が通行止めの指示をしています。迂回を繰り返し、港近くまで入ることができました。息子が3、4歳ごろ子ども用二輪車をもってここのサイクルセンターによく来たものです。しかし、今は、見る影もなくなっています。閖上のシンボルともいえる笹蒲鉾屋さんは、痛々しい姿に変貌しています。

 

名取市閑上

 

近くの日和山(標高6.3m)に登ると、四方が見渡せます、登ってみました。一面、空爆でもされたような何もない瓦礫の世界が見えました。手作りの小さな慰霊の塔が町を見つめています。手を合わせます、涙が止まりません、悲しみがつきません。多くの人々で賑やかだった漁港、笑顔いっぱいに漬物や海産物を売っていた朝市会場、防潮林でもあった松林、全てなくなっていました。瓦解した荒野の町が静寂の中、朝日に照らされていました。(朝市は、会場を移転して再開しているようです)

 

名取市閑上

 

 


  閖上港の変わり果てた光景を見たら、何か湧き上がるようなものを覚え、勇気を出して石巻まで行くことにしました。仙台東部道路から三陸自動車道に入り、鳴瀬奥松島で一般道へ。ブルーインパルスで有名な自衛隊の町、東松島市矢本に着くと、道は大きくうねり、路肩はいたるところで崩れています。クルマはゆっくり走るしかありません。この付近は、パチンコ店『ジョイパーク』の拠点地区です。北上運河に面して2店舗が隣り合わせと言ってもいい距離で営業している『ジョイパーク』ですが、両店とも2メートルほどの高さまで津波が押し寄せ、店内は大きな損傷を受けたようです。パチンコ店駐車場に水没してしまったためにクルマを放置せざる得ないという津田栄さんに話を聞きました。「地震当時、店から出るように指示があり、球を精算して家に帰ろうとしたら、津波が来るとの放送があった。慌てて逃げようとしたが、間に合わず、近くの人がブロック塀に登っていたので上げてもらい難を逃れた。その後、水がなかなかひかないため、塀伝いにパチンコ店の2階事務所の窓から中に入れてもらい救助を待っていた」。

 

 


 

石巻市

 

津田さんは現在、石巻市向陽町のコミュニティセンターで避難所暮らしをしています。津田さんと一緒にいた友人は「同じ避難所で生活している。自宅は全壊、会社も壊滅し、3月末で解雇されました。保証がないので、これからどのようにしていったら良いのか分からない」と不安を語ります。2人が現在、最も困っていることは「足がないこと」と口を揃えます。足=クルマです。「クルマは、知り合いから借りているが、いつまでも借りられない。しかし、足がなければ、年寄りを病院にも連れて行けないし、買い出しにも行けない」。今、東北各県では、中古車・新車ともにクルマがない状況なのです。特に、中古車は値上がり状態。現在、被災者にとって最も必要性を感じているのがクルマだそうです。

 

石巻市

 


石巻市に入ると、北側一帯は旧北上川が決壊したため、津波で逆流した海水が町に流入した地帯。依然として泥土の取り除きが進んでいないところも多く見受けられました。そうした中、国道45号線沿いの『アミューズメントパークさくら』は給水所として開放されており、営業はしていないものの、駐車場は市民が水を求めて集まっていました。

 

石巻市

 


また、元倉地区には、前回書きました、津波で孤立した247名が自力で安全地帯にたどり着いたパチンコ店があるところです。ここは、建設途中で被害にあったため、また工事はやり直しとなってしまうのでしょうか、警備員さんが施設を警備していました。

 

石巻市

 


  いよいよ港に向かって進みます。立町付近に来ると、瓦礫が高く積み上がっている側道のところどころに大きな漁船が打ち上げられています。中には、ビルに激突したのでしょう、ビルを破壊して止まっているものもあります。異様な光景の連続です。橋通りから湊に向かいました。吹上交差点付近には『ゼットン』『大将軍』『21SEIKI』が。皆ホール内は大破してしまっています。『21SEIKI』 は既に改装の準備に入っていますが、駐車場を自衛隊の救助隊に開放し、支援物資の配給所となっていました。近くの『ジョイパーク』は手つかずの壊滅さが津波の凄さを見せつけます。この他、『ワイド』『ソニオ』も同様。たくさんの魚が打ち上げられていました。この辺り一帯は、粉塵が舞い、物凄い潮の匂いというか、潮と生ものの腐った臭いと何か鼻を突く臭いが混ざったような異臭が強く、マスクなしではいられない状態でもありました。

 

石巻市

 


その後、市内のほとんどのパチンコ店を見て回りました。いずれも被害は大きいようで、海に近い場所のパチンコ店で開店しているところは皆無。被害の少なかった数店だけが4月から営業を開始。どの店も8〜9割の客入りです。お客さんのパチンコをする気持ちがわかるような気がしました。「このような時にパチンコなんて」と言う人もいるでしょうが、街中の光景、人々の境遇を考え、話を聞くとパチンコを否定することはできなくなるのでは・・・。

 

ダイナム矢本店

 


    この他、東松島市の『まるたま』『ピア』『ダイナム』も被害は甚大だった様子。『ダイナム』では、4月4日までにスタッフ2名の生命が失われるなど悲しみ深い中、従業員が総出で店内外の泥土除きを行っていました。スタッフの一人が「大変な出来事でした。自宅を失いましたが、命があるだけでも幸せだと思っています。また、働く場所があると言うことは生きる意欲にも繋がります。会社にありがとうって感謝しています」と明るい笑顔で語ってくれた言葉に、飾りは感じられませんでした。本当に未曾有の大惨事です。

 

業界誌『フェイム』ほくとう通信社 友道学

 

 

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2011.04.14 更新

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